エル・パティオ・セビジャ−ノより



フラメンコ小史

 スペインと言えば、まず外国人の頭に浮かぶのが フラメンコ、闘牛でしょうか? 闘牛と言えば、スペイン国内でも動物愛護の立場から反対意見の方も多く、 毎年、闘牛シーズンになると、賛否両論に別れて議論がなされますが、いずれの 立場をとるにしても、自国、スペインの文化であると言う認識はみんな持っています。 ところが、フラメンコとなると、少し様子が違います。これはスペインの中でも ごく限られた地方の文化のようです。つまり、南部、アンダルシア地方に根づいた 文化であって、同じスペインでも北部へ行って、そのあたりの住人に「スペインと言えば フラメンコですね!」のように、いかにもフラメンコがスペインを代表する文化であるような 口のきき方をすると、機嫌を損ねる人もいることでしょう。それぐらい、スペインの中でも 限られた地方の文化であると言う意識が強いように思われます。 しかし、もっと歴史をたどっていくと、もともとこれはスペインだけの 文化ではなさそうです、、、、。

 このフラメンコの起源と言うものについて話そうとすると、どうしても触れないと いけないのが、ロム族(俗にジプシーと呼ばれる)でしょう。 この民族のルーツにしても、いろいろな説があるようですが、インドの北西部にいた 民族とするものが最も一般的であるようです。この民族が大々的に民族移動を始め、 「地中海の南を通過して、北アフリカの現モロッコへ至り、ジブラルタル海峡を渡って 15世紀頃にスペインへ渡り住んできた。そして、その時にやってきた彼等が現在の フラメンコの起源なるものを伝えた。」と記した書物を見た事がありますが、その後の 新たな歴史的発見によって、ジプシー(ロム族をここではこう呼ぶことにします) 北方進入説の方が有力になっているようです。 つまりはピレネー山脈を越えて入って来たと言うことでしょう。その時代は、やはり 15〜16世紀と言われています。現在のモロッコあたりへ行ってもジプシーの歴史的 足跡が見られない所からも北方進入説の方が信憑性が高いと思われますね。

 さて、この新しく進入してきたジプシー達にフラメンコの起源を見いだすのであれば、 ヨーロッパ各地に移り住んだ彼等の文化が、現在、なにもスペインだけの文化で無くとも 他の国々にもあって良さそうではないか、、と言う疑問が出てきそうですが、ここで大事 なのは、新しい土地へ新しい文化が流れ込んできた時に、その文化単独での発展はあり得ない と言うことでしょう。その新しい土地にもとから存在した土着の文化と混じり合うために その地でしかありえない独特の変化発展を遂げていくものです。ここで注目したいのが 実際、ジプシー達が進入してきた時代、このスペインと言う国にどのような文化がすでに 存在していたか、と言う点です。 ここイベリア半島では、ちょうどその時代、大きな文化の 流れが3つ程入り乱れていたのです。一つはキリスト教徒の文化、一つはイスラム教徒の 文化、そして、もう一つが、ユダヤ教徒の文化です。そこへまたしても新しいジプシーの文化が 入り込んできたと言う訳です。結果、ここで4つの違った文化が、ぶつかり合い、混じり合い、 お互いに強い影響を与えあったがために、他の地ではあり得なかったような多種多様な独特の変化 発展を遂げて出来上がっていったのが現在のフラメンコと呼ばれる文化ではないでしょうか。

 このような背景をもったフラメンコ、実はスペイン人にとってもどこかエキゾティックな 文化と言えるのかもしれませんね。スペインに来られる皆さん、このフラメンコ、どのように お感じになるでしょう。。。。