スペイン生活30年・今も続く私の冒険

くま伝

日本を飛び出してみたいと考えている方々、目的を見出せず悩んでいる方々へ


第24章 初仕事(後編)

『ピアノの発表会とガイド』


 先ほどまでにこやかな顔をしていた彼女だったが、9時ジャストになって、私の口から
説明を受けると、一瞬、その顔に不安がよぎった。
彼女自身、スペインに仕事で来るのは初めてだったようで、偶然、ここに初仕事の
スタッフが2名、重なった訳だ。 さぞかし心配だったことだろう。

 考えてみれば、私も随分と肝が据わっていたものだ。
右も左も判らないままに、大型バスの最前列に座り、堂々とマイクを持ち、数十人の客に
自己紹介を済ませ、あとは見えてくるものに、なんでもかんでも説明を加えた。
確かに緊張はしているのだが、それは慣れない事に対する緊張であって、人前で
話す事への緊張ではなかった。
幼い頃からピアノを習わせてもらった私は、毎年もっと大きな会場での発表会なるものに
出場していた。
まぶしいスポットライトに照らされる舞台の上で、グランドピアノに手をかける事の方が
遥かに緊張する。
おそらく私の度胸なるものは、この幼児期から少年期に形成されたのではないかと思う。

 その後も、学生時代にいろいろな舞台に立つチャンスを得た。
もともと体育と音楽でしか良い成績が取れないガキ大将であった私が、僅かながらに
自慢できる成果を公表すると、高校生時代には京都府教育委員会が主催する英語の
弁論大会に出場して4位入賞を果たした。
大学時代にも某専門学校主催のホノルル市長杯争奪英語弁論大会への大学代表に選ばれた。
また専門のスペイン語では弁論大会荒らしとまで呼ばれ、この頃に頂いた優勝カップや
楯のコレクションを持っている。
これら全てが幼少時代に経験したピアノ発表会のおかげではないかと本人は思っており、
それが今もまた、大型観光バスの中で役立った訳である。

 バスはスペイン広場に到着した。
私はグループにここで一旦下車する事を告げ、先頭を歩いて広場中央部まで案内した。
スペイン人ガイドは打ち合わせどおり、急いで近くにあった公衆電話へと走って行った。
彼女に充分な時間を与えるために、私は実にゆっくりと広場の説明を始めた。

 首都マドリッドのスペイン広場は、作家セルバンテスが残した作品で有名な
二人の登場人物、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像が置かれている事で知られる。
一般ツアーでこの国を訪れた方々のほぼ全員がこの広場を覚えておられる事だろう。
広場中央に据えられた大きなモニュメントには、これら二人の主人公以外にも沢山の
人物像が据えられている。
モニュメントの手前には小さな池があり、左右にはオリーブの木々が見られる。
秋から冬にかけてこの広場を訪れると、オリーブの実が木になっているのを近くで
見る事が出来る。
これらの写真をカメラに収めようとすると、ちょうどそのバックにスペイン・ビルディングと
呼ばれる左右対称の山形の建物が入り、均整の取れた写真を撮る事が出来るのである。
私は、これらモニュメントや作家セルバンテスとその作品の登場人物達、
周りの建築物などの話をゆっくりとして時間を稼いだあと、更に、10分ばかりの
撮影時間をとった。
そうこうしている内に旅行社との電話を終えたスペイン人ガイドが私の元へ駆け戻ってきた。

 「大丈夫、見つかったらしい。どうやら彼は間違って別のホテルを伝えられていたらしく
  そのホテルでグループを探していたみたい。これからプラド美術館へ直行してもらうから
  そこでバトンタッチよ。」

やれやれである。
とりあえず、気が楽になった私は、グループに集合をかけ、再びバスに乗り込むと、
プラド美術館へ向けて走らせた。

 それにしても、流石に首都だけあって右も左も立派な建物ばかりだ。
「ガイド」と言う立場で、見慣れた町並みを改めて眺めてみると、あれもこれも
説明を加えないといけないような代物が林立しているのに驚かされた。

 かくして、にわかガイドは、なんとかプラド美術館までグループをひっぱって行き、
本来のガイド氏にバトンタッチ。 無事、その初仕事を終えたのである。


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