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今回は東京にお住まいの「どすっこさん」からお問い合わせを頂き、車椅子で行く巡礼の旅を企画しました。
成田からマドリッドへ入り、車椅子対応のバスに乗りブルゴスまで北上。そこから巡礼路に乗っかって、レオン、アストルガなど、巡礼の拠点となった地に立ち寄りながら聖地サンティアゴへと巡礼を続けました。 皆さんも勇気を出して日本を飛び出してみませんか? 興味や疑問を持たれた方、お問い合わせは下記アドレスへメールでどうぞ!
1200年もの間、数え切れない程の人々が旅した巡礼路の終着地点、サンティアゴ・デ・コンポステーラ。 この街に至るとき、人々は何を感じ、何を学び、何を得て、そして何を失ったのでしょうか、、、 1千年以上の歴史を持ち、少なくとも全ヨーロッパを巻き込んだこの世界遺産が、現代に生きる我々に何を伝えようというのでしょうか? 真理、永遠、虚無、偽り、エゴ、見栄、日常、本質、、、、、普段の生活に追われていると気づく事の無い様々なものに、気づくための何かのきっかけ、、、そんなきっかけを与えてくれるのがこのサンティアゴ巡礼路なのかもしれません。
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☆1日目
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☆2日目
ブルゴス市内のホテル泊 |
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☆3日目
レオン市内のホテル泊 |
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☆4日目
ルゴ市内のホテル泊 |
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☆5日目
サンティアゴ・デ・コンポステーラのパラドール泊 |
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☆6日目
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☆7日目
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☆8日目
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車椅子利用者のどすっこさんから頂いた旅の報告
2005年、年が明けて間もない頃だったように記憶している。
前年に、ツアーの催行キャンセルなどで叶わなかったスペイン北部「サンティアゴ デ コンポステーラ」への旅。それをどうしても実現したかった私は、いろいろな方法を使って、個人で行ける道を探っていた。
人数が集まれば何とか道は開けるはずと、知り合い、友人に声をかけた。けれど、スペイン=闘牛、フラメンコ、パエーリャと多くの人が考えていて、「巡礼の道」そのものを知らない人がほとんどと言う現実。それに、日本ばかりではないだろうが、通常のツアーでは、介護者でない一般の健常者と、障害を持っている人との旅はやっかいなことも待ち構えていて、理想に向かっての実現はなかなか難しいと思い知る。
実際、大手の旅行会社では、バリアフリーツアーと一般のツアーは全く別に企画されている。それは多くの場合、費用や使える交通手段、いくら有名な観光地と言えども、車椅子では物理的にたどり着けない場所も多い事などが問題となり、双方が歩み寄るにはまだまだ道は遠い。
そんな折、ネットでSNJさんのHPにたどり着き、メールでいくつかの質問をしてみた。
だいたい、丁重な言葉とともに 「無理ですね、車椅子で、しかも個人では・・」 といった答えを想像していた私は、「何とか方法を見つけて実現していきましょう」 とのやさしい答えが返ってきたとき、大声を上げたいほど嬉しかった。
その後、何度も旅の具体化についてのメールのやり取りが続き、くまさんやスタッフの方々があれこれの工夫と苦労を重ねてくださり、徐々に車椅子で行く巡礼路の旅が整っていった。 そして、これはあとから知ったことだが、驚くことに私のサンティアゴへの旅は、すでに十数年前からくまさんによって導かれているかのように、縁深いものだったのだ。
それは1994年ごろにさかのぼる。当時、NHKの「世界わが心の旅」と言うドキュメンタリーの名作がシリーズで放送されていた。
あるとき、作家である小川国夫氏がこの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」への旅をしているのが放映された。
名も無く貧しかった氏の青年時代、生きていくことへの漠然とした不安を抱えていた当時の小川氏は、なにか精神的な答えを得たくて、バイクに乗りフランス側から巡礼路を旅し続けた。
二十数年たち、東大の教授という地位を得、さらにものを書く身となった今、あのときの道をもう一度たずね、氏の心の軌跡をふりかえるといったような構成になっていた。
当時、父親と妹を相次いで亡くしていた私は、きっと心の中におおきな空洞が開いていたのかもしれない。強くその旅に惹かれ、乾いた小麦畑と、点在する街に建つ古い大聖堂、優しそうな人々の指し示す先に、満たされる何物かが待っていてくれるという確かな感触を味わったのだった。
不思議なことに、そのときに小川氏に通訳として付いていたのがくまさんだった。 番組としては通訳は黒子であるため、姿は映されていないものの、最近、一部声が残っているとわかって、再放送の中に確かに若いくまさんの声を聞いた。
夢は見るものではなく、叶えるもの。
私の、いつか巡礼路を歩いてみたいと言う思いは それから十年余りを得て、こうしてようやく実現することになった。 その間、私は事故によって車椅子のviajera(旅人)になってしまっていたけれど・・・。
そして六月、雨季の湿った空気の日本をあとに、フランクフルト経由でマドリッドに入る。junjunroseさんという強力な旅のお供を得て、意気揚々とスペインの地に降り立つ予定だった・・・が。 準備万端、乗り継ぎの時もトラブルが生じないように、くまさんがイベリア航空の広報課や医師陣とやり取りをしてくれて、なおかつそのメールのコピーを黄門様の印籠のように携帯していったのだけれど・・・。
成田からマドリッドまで私の車椅子をスルーチェックインで預けてしまったため、乗り継ぎの際に空港の車椅子が差し出された。イベリアのゲートで「それは空港の車椅子だから、降りて!歩けるの?立てるの? ノー? じゃあここからは入れない」とまぁそんなような言葉でまくし立てられてしまう。
こちらとしたら、機内用の車椅子に移って乗り込めれば、いつでも空港の車椅子はお返ししますと言いたかったが、言葉がわからず伝えられない。その先をどうしてあげようと考える習慣もなく、それを規則で補うまでにはなっていないようにさえ感じた。
そうこうするうちに、上層部の方が出てきた。ここでくまさんのイベリア航空との話し合いの効き目があったようだ。 上層部が何やら慌てて指示を出し、そのあと何事もなかったかのように機内に滑り込めた。
バラハス空港に着き、手を振って出迎えてくれたくまさんとボランティアで駆けつけてくれたジャジャナさんを目にした時、ほっとして思わず涙がでてしまった。万感の思いがこみ上げてきたようだった。
このようにして、私の夢の旅は実現した。思っていた通り、いやそれ以上に巡礼の道は私に多くのものを残してくれた。繰り返された戦いにもかかわらず、多くの貴重な建築物が残されているスペイン。 異質な文化や宗教にも逆らわず、なじみ溶け込んで、乾いた大地の奥深く不思議な魅力を忍ばせているスペインという国。 決して闘牛やフラメンコに代表される情熱の国スペインだけではないと知ると、viajera(旅人)は、また行こう! とはるかな西の国に思いをはせる。
2006年4月6日 アンダルシアへ旅立つ前に
日本のボランティア協会よりお世話係としてご参加頂いたJunjunroseさんから の報告
2005年6月に「どすっこさん」の旅の介助ボランティアとして「サンティアゴ巡礼の旅」に参加させて頂きました。
「スペイン」という地図でしか知らない国へ、何の知識も持たずやって来てしまった私です。
行く先々で初めて目にする世界遺産の大聖堂や建築物、そしてワイナリーを、
目が回るほど眺め、ゆったりと流れる時間の中に歴史を感じながら、いま自分がその中に居るという不思議な感覚を何度も味わいました。
旅の最初から最後までお世話になった、現地スタッフの方々との交流や、行く先々で出会ったたくさんの人の温かなおもてなしや、ぬくもりに触れながらの旅は、私にとって今までにない経験として、永遠に忘れることはないでしょう。
見学先では、くまさんの耳に心地よく響く詳しい解説に驚いたり、スタッフの皆さんとの会話は弾み、笑いに溢れていました。
どすっこさんの車椅子の移動?
もちろん、スタッフの皆さんの笑顔とハートとパワーで『どすこい!』
最後に、何より心に残ったこと・・・月明かりの下で、ただゆらゆらと漂っている様な心地よさを感じた「テラスでの美味しい食事とおしゃべり」。。。。。また月に誘われ 散歩に出たくなりました。。。。。。